貸労働の発生について 2
農村から創出された初期賃労働のタイプは、このようなマニュファクチュア工場の女工と、男子労働者に代表される窮乏農民の不熟練労働との2種類に大別されるでしょう。
そこで、農民分解自体と最も深い関わりをもっのは、不熟練労働者の創出であるとみてよいでしょう。
すなわち・・・
「農家戸数が明治6年から24年までの19年間に約15万戸減少しているのは、窮乏の果てに離村を余儀なくされた農民が大量に都市に流入。
小作農から出稼ぎ、あるいは通勤の賃労働者を出していることから、その他兼業自作農(明治19年95万、24年約104万)から流出する労働力と合わせれば、その総数はおびただしいことがほぼ察知できる」
・・・のです。
変化封建制も末期になると、農民的土地所有及び高利貸・商業資本の発展に伴って、職業の自由や移動の自由が既成事実として進行していました。
また維新後は幕藩体制の絶対的支柱であった身分制が、新政府の求める急速な商品経済の発展にとって、かえって重荷となっていたので、政府自ら身分の拘束性を積極的に取り除き、解消していく必要を感じていました。