士族の生活変化
被差別部落民による身分解放要求も高揚していました。
しかし、逆に、絶対主義国家体制創造の流れにおいては、新しい身分制確立が要請され、そうした矛盾の中から登場した序列が、華族・「士」族・平民という制度でした。
明治4(1871)年には戸籍法を公布して、従来の宗門人別帳を廃止し、華・士・平民の身分を問わず、いわゆる四民平等をうたったのです。
しかし実態的には、この壬申戸籍(明治5年、全国統一的に作成された戸籍)は、士おける労働者数は、官民あわせて20万5500人でした。
その95%は民間労働者で熟練労働者一職工が6、不熟練労働者一傭人(小使・日雇・荷造人など)という比率であったとされています。
産業別でみると、工業67%、鉱業18%で鉱エ業が大部分を占めています。
また明治23(1890)年恐慌後、資本主義的生産が地歩を築きはじめた同25(1892)年には産業労働者数は官民合計30万6600人。
19年以降の6年間に約10万人の増加がみられます。